南侵限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
ウォーカー中将はこの9月攻勢の最初の1週間をのちに「恐るべき七日間」と回想した。9月攻勢により第8軍では韓国からの撤退すら議論された。ウォーカー中将は大邱にとどまって指揮を続けていたが、釜山の第8軍後方担当司令部は釜山北方の水萊に待避させた。釜山では防御陣地の構築が始まり市民はパニックになった。 仁川沖で北朝鮮本土の爆撃を行っていた第7艦隊(フィリピン・シー、ヴァリー・フォージ基幹)も朝鮮海峡に全速力で引き返し、第5空軍と共に近接支援に参加した。 9月10日、大邱で北朝鮮第1師団と第13師団の攻勢が撃退された。9月11日、慶州を攻める第13師団も後退を開始した。9月12日には全前線で国連軍の優位が確認された。北朝鮮軍の9月攻勢は、9月14日にはほぼ終息し、北朝鮮軍は各所で撃退され攻撃衝力を失っていった。
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