協調介入の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:17 UTC 版)
協調介入の事例を記載する。なお、協調介入が検討され、実際には実施されなかった事例についても記載する。 1985年9月 - プラザ合意によるドル高是正。G5(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス)ドル売り協調介入で、1ドル=240円台から1年後には150円台に。 1987年2月 - ルーブル合意。プラザ合意によるドル高是正のが行き過ぎの修正のため行われたが、長続きせず失敗。 1995年7月 - 4月にドルが79.75円の最安値を付けたことから円高を阻止するために、日米協調介入が実施される。「七夕介入」とも呼ばれる。ドル円は年末までに103円台に上昇。 1998年6月 - アジア危機を受け、円買いドル売りの日米協調介入。 2000年9月 - 1999年1月に誕生したユーロの一本調子の下落に対する対応として、G7は協調介入が行われた。 2008年3月 - アメリカのサブプライムローンに端を発する金融危機時には、アメリカをはじめ、日本、ヨーロッパ各国が、ドル防衛のための協調介入について、秘密合意があったと日本経済新聞は報じている。この際はドルが持ち直したことから、協調介入は見送られた。 2011年3月 - 東日本大震災時に発生した急激な円高(17日早朝、1ドル=76円25銭)に対する対応として、G7が協調介入を実施することに合意し、実施された結果として81円台に回復した。
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