十四年式自動拳銃の開発に協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 03:46 UTC 版)
「南部麒次郎」の記事における「十四年式自動拳銃の開発に協力」の解説
南部大型自動拳銃の採用が頓挫したあと、陸軍内では新型拳銃の開発は長期間にわたって進まなかった。世界各国では次々に自動式拳銃を開発する中、麒次郎は積極的に海外視察を行い、各国が開発する新型拳銃を参考にした研究を始めていた。そして外国の優れたオートマチック式の拳銃に感嘆し、彼が帰国した1922年(大正11年)から、南部の助言のもと、新たにオートマチック式を取り入れた新型拳銃の開発が名古屋造兵廠で進められていった。 関東大震災でそれまで試作していた銃や図面が燃えるなどの事故もあったが、数回の設計変更や試作を行った結果、1924年(大正13年)、十四年式自動拳銃が完成した。翌年には陸軍から一四年式拳銃として仮制式採用となり、この拳銃はまず砲兵将校や騎兵将校の主武装として採用された。その生産は南部がのちに設立する「中央工業」(後述)のほかに名古屋造兵廠、東京造兵廠、小倉造兵廠で行われ、外形の変更などの小改良や生産工程の簡略化などを行いつつ終戦まで生産され、陸軍の主力拳銃として使用された。
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