医者・その他の癒し手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 07:41 UTC 版)
「古代エジプト医学」の記事における「医者・その他の癒し手」の解説
医者を示す古代エジプト語は「swnw」である。この称号には長い歴史がある。記録上最古の医者である古代エジプトのヘシレは、紀元前27世紀の支配者ジョセル王の「歯科医および内科医主任」であった。ペセシェト(紀元前24世紀)は、記録上おそらく最古の女医である。アケトテップの母親とみられており、アケトテップの墳墓にあるペセシェトに捧げられた石碑にはペセシェトを指して「imy-r swnwt」と綴られている。これは「女医たちの女性監督官」と解釈されている(「swnwt」は「swnw」の女性形)。 医学の分野の地位や専門分野には様々なものがあった。特権階級は専属の「swnw」や、専属の専門医さえも雇った。医者たちの監督官・職長・主任なども存在した。現在知られている古代エジプトの専門医には、眼科医・消化器科医・肛門医・歯科医・「精肉店指導医」・「液体科医(詳細は不明)」がある。古代エジプト語で肛門科医を指す「neru phuyt」は、直訳すると「肛門の庇護者」になる。 「生命の家」(ペル・アンク)と呼ばれる施設がエジプト第1王朝の時代から作られていたことが知られている。PeftauawyneitやWedjahorresnetといった紀元前1千年紀中頃に生きていた医者の名が合わせて刻まれていることもあり、医療機能があったとされる。エジプト第19王朝の時代には、被雇用者は医療保険・年金・病気休暇などの福祉を受けていた。
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