医王寺 (杉並区)とは? わかりやすく解説

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医王寺 (杉並区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 00:23 UTC 版)

医王寺
所在地 東京都杉並区上高井戸1-27-15
位置 北緯35度40分27秒 東経139度36分44秒 / 北緯35.67417度 東経139.61222度 / 35.67417; 139.61222座標: 北緯35度40分27秒 東経139度36分44秒 / 北緯35.67417度 東経139.61222度 / 35.67417; 139.61222
山号 明星山[1][2]
院号 遍照院[1]
宗旨 新義真言宗[2]
宗派 真言宗智山派
本尊 薬師如来
創建年 承和元年(834年[注釈 1]
開山 海星[注釈 2]
中興年 大正14年(1925年[注釈 3]
別称 西向茅野薬師[1]
法人番号 6011305000273
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医王寺(いおうじ)は、東京都杉並区にある真言宗智山派寺院

概要

世田谷区南烏山にある境外仏堂・念佛堂・薬師堂。医王寺が管理している。

834年承和元年)、海星によって開山した。本尊薬師如来弘法大師の作とされ、海星がこれを奉じて庵を建てたのが由来である。この薬師如来は、眼病に効くご利益があるとされ、「おめだま薬師」の名前で親しまれていた[1]

しかし明治時代廃仏毀釈で寺運衰微し、薬師堂を除いて三宝寺に吸収合併されてしまった[3]

1923年大正12年)の関東大震災の際、薬師堂は倒壊したものの、中の薬師如来像は無事だったことから、医王寺再興の動きが活発になった。しかし、当時の国策で寺院新設が禁止されていたので、東京府北多摩郡大和村(現・東京都東大和市)にあった「成就院」を移転するという体裁で、1925年(大正14年)10月に再興した。1942年昭和17年)に、ようやく「医王寺」の寺名が認められた[3]

また本堂が西に向いており、別名西向茅野薬師(西向薬師)ともいわれている。

祭礼等

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 寺伝による[1]
  2. ^ 寺伝による[1]。『新編武蔵風土記稿』では尊祐(寛永5年(1628年)寂)[2]
  3. ^ 杉並区公式ホームページでは大正13年[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 杉並区公式ホームページ.
  2. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 上高井戸宿.
  3. ^ a b 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年、120-122p

参考文献

外部リンク




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