北樺太進駐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
日本政府は6月28日に北樺太の保障占領を廟議決定し、7月3日の官報で以下の告示を行った。「今年の3月12日から5月末まで、ニコライエフスクにおいて、日本軍、領事館員および在留民およそ700名、老幼男女の別なく虐殺されたが、しかし現在、シベリアには交渉すべき政府がない。将来、正当な政府が樹立され、事件の満足な解決が得られるまで、サハリン州内の必要と認められる地点を占領するつもりである」「必要と認められる地点」とは、北樺太であり、宣言と同時にサガレン州派遣軍が編成され、児島中将の指揮下、8月上旬アレクサンドロフスクに上陸し、駐屯した。
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