北家相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 16:54 UTC 版)
慶長19年(1614年)、有力な分家である佐竹四家の一つ北家の佐竹義廉が、大坂冬の陣への出陣途中に遠江国掛川にて急死したため、3歳の申若丸がその養子となって北家を嗣いだ。ただし養子入りした時期については、義廉の存命中、死去の直後、義廉正室(佐竹義種の娘)が向重政に再嫁した元和4年(1618年)、など諸説ある。
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