劇場開設の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:10 UTC 版)
1890年(明治23年)8月、劇場取締規則が改正されて劇場に大・小の区別が設けられ、既設の劇場は全て大劇場とされ、劇場数も制限が設けられた。この規制改正後最初に開場したのが三崎座で、分類は小劇場とされた。もともと大劇場は江戸時代には官許を得た劇場すなわち大芝居のことを指し、小劇場は寺社の境内などで臨時に興行するもので、小芝居または宮芝居と呼ばれた。江戸時代にはこの差別は非常に厳しいものであったが、明治になってこの制度は廃止された。しかし実際には明治期には大芝居と小芝居間の区別は残っていて、小芝居は大芝居から厳しく差別されており、小芝居の出演者は軽く見られていた。三崎座は小芝居を上演する小劇場としてスタートした。なお、大芝居と小芝居の差は大正期以降少なくなっていき、戦災後、小芝居の常打小屋がなくなったことをきっかけに実質的に大芝居・小芝居の区別は消滅した。 三崎座があった場所は幕末には講武所が設けられ、明治維新後には練兵場となっていた。その後1890年(明治23年)に練兵場は三菱に払い下げられ、その練兵場跡地に三崎座を始めとする三崎三座が建設された。開場式には源之助、馬十、幸蔵その他10名が参加し、「大和国当麻縁起」「若葉梅浮名横櫛」が上演された。 なお、客筋からの引き幕提供は断られた。
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