創作経典(大乗経典)における霊鷲山
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「霊鷲山」の記事における「創作経典(大乗経典)における霊鷲山」の解説
『観無量寿経』は、霊鷲山で説法していた釈迦が、説法を中断して幽閉されていた韋提希夫人のもとに現れて説いたとされている。 『法華経』もこの地が設定舞台とされている。そのため、霊山浄土、霊山会などという語が派生した。 霊山浄土(りょうぜんじょうど) - 霊鷲山は報身の釈迦如来が法華経を説いた浄土とすることからいわれる。また霊山会上ともいう。もし世界が毀損しても未来永劫、釈迦仏がここに常住して法を説くことを意味する。日蓮宗では、法華行者の要期すべき浄土であるとする。この浄土の相(変相図)を描写するものを霊山浄土変という。法隆寺金堂の四仏浄土変の中、釈迦浄土変の如きをこれとする。 霊山会(りょうぜんえ) - 霊鷲山において釈迦如来が法華経を説いた会座のこと。江戸時代に、浄土真宗の本願寺派はこれにちなんで、毎年5月に京都の洛東にある高台寺付近の霊山に集って詩歌などを作って詠む会合があり、これを霊山会と呼んでいた。
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