初期の政治経歴と即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 08:26 UTC 版)
「サイード・ビン・タイムール」の記事における「初期の政治経歴と即位」の解説
バグダッドで1年間を過ごした後、帰国したサイードは、すぐさまオマーンの政府に入った。1929年8月、彼は閣僚評議会の代表となった。スルタンであった父タイムール・ビン・ファイサルは、形式上は独立していたもののイギリスの実質的な支配下に置かれていた国情に統治者としての情熱を失い、しばしば国を離れてインドで過ごすなど、オマーン国政における無能ぶりは明らかで、新たな指導者を待望する状況が生じていた。父王は1931年11月17日付でイギリスの湾岸代表部に書簡を送り、サイードを後継者に指名して自らの退位を宣言した。イギリスはサイードに対して非常に好意的であり、1932年2月には、21歳であったサイードが、新たに第13代スルタンに即位した。スルタンとなったサイードが継承した国は、イギリスとインドに対して大きな負債を抱えていた。イギリスから離れて自治を確保するためには、経済的自立を回復することが必要であった。このため、1933年以降、1970年に廃位されるまで、彼は国家予算を支配し続けた。
※この「初期の政治経歴と即位」の解説は、「サイード・ビン・タイムール」の解説の一部です。
「初期の政治経歴と即位」を含む「サイード・ビン・タイムール」の記事については、「サイード・ビン・タイムール」の概要を参照ください。
- 初期の政治経歴と即位のページへのリンク