初期の人気とその衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 01:54 UTC 版)
「グロス・ミチェル」の記事における「初期の人気とその衰退」の解説
フランス人の博物学者ニコラ・ボーダンは、東南アジアから少量のグロス・ミチェルの球茎を運び込み、カリブ海の島であるマルティニークの植物園にそれらを持ち込んだ。1835年にフランス人の植物学者ジャン・フランソワ・プーヤがボーダンのバナナをマルティニークからジャマイカに運んだ。グロス・ミチェルはホンジェラスや、コスタリカ、そして、中央アメリカの至るところの大規模プランテーションで栽培されていた。 グロス・ミチェル種は、中央アメリカで栽培されるヨーロッパや北米向けの輸出バナナとして支配的であった。しかし、1950年代になるとパナマ病、つまり、真菌(Fusarium oxysporum f.sp. cubense(英語版))によって引き起こされる萎凋病が、中央アメリカからグロス・ミチェルのプランテーションを一掃した(ただし、地域内で非感染エリアではいまだ小規模に栽培されている。)。 1960年代にはグロス・ミチェルの輸出業者らは、そのような影響を受けやすい栽培品種を取引するのをやめ、抵抗力のある(とされていた)キャベンディッシュ(別のMusa acuminata AAA品種)を栽培することを始め、グロス・ミチェルは栽培されなくなっていった。
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