分校村とは? わかりやすく解説

分校村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 08:41 UTC 版)

ぶんぎょうむら
分校村
廃止日 1954年11月3日
廃止理由 新設合併
分校村、動橋町 →動橋町
現在の自治体 加賀市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
江沼郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,065
(1953年)
隣接自治体 石川県:江沼郡動橋町勅使村那谷村矢田野村月津村
分校村役場
所在地 石川県江沼郡分校村分校
座標 北緯36度19分44秒 東経136度24分03秒 / 北緯36.32886度 東経136.40083度 / 36.32886; 136.40083座標: 北緯36度19分44秒 東経136度24分03秒 / 北緯36.32886度 東経136.40083度 / 36.32886; 136.40083
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分校村(ぶんぎょうむら)は、石川県江沼郡に存在した

「分校」の地名は、班田制における校田に由来するということが一説である[1]

地理

  • 現在の加賀市東部、江沼平野の東部に位置。
  • 高塚の地区内に北陸本線が通っている。
  • 当時の主な産業は、農業製造だった。

歴史

  • 1877年明治10年) - 大分校村(現在の加賀市分校町の東半分)及び小分校村(同・西半分)が合併して、分校村が発足する。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、分校村、箱宮村、打越村及び高塚村の区域をもって、分校村が発足する。当初、役場は打越に設置。
  • 1931年昭和6年) - 役場を分校に移転。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 分校村立分校中学校開校。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 動橋町及び分校村が合併して、改めて動橋町が発足する、分校村の4大字は動橋町の大字に継承。
  • 1958年(昭和33年)1月1日 - 大聖寺町橋立町片山津町、動橋町、山代町南郷村三谷村三木村及び塩屋村が合併して、加賀市が発足する。旧分校村の4大字を含む9大字は加賀市の町名に継承。

教育

  • 分校村立分校小学校(現在の加賀市立分校小学校)
  • 分校村立分校中学校(後の動橋町立→加賀市立。1962年(昭和37年)に動橋中学校、作見中学校と統合し、加賀市立東部中学校(現・加賀市立東和中学校)となる。1964年(昭和39年)10月1日の校舎竣工までは、校舎は分校教場として存続。)

脚注

  1. ^ 参考:『角川日本地名大辞典・石川県』

関連項目





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