函館の女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 15:25 UTC 版)
「函館の女」 | ||||
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北島三郎 の シングル | ||||
B面 | 北海道恋物語 | |||
リリース | ||||
規格 | レコード | |||
録音 | 1965年![]() |
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ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | 日本クラウン | |||
作詞 | 星野哲郎(#1) 南沢純三(#2) |
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作曲 | 島津伸男(#1) 関野幾生(#2) |
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北島三郎 シングル 年表 | ||||
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「函館の女」(はこだてのひと)は、1965年11月10日に発売された北島三郎のシングル。140万枚の売上を記録した[1]。
解説
当初は「(女が)東京へ出てくる」内容で詞が書かれたが、レコーディングディレクターの助言で函館をテーマにしたものに変更された[2]。島津は作曲の際にうまく旋律が収められず、星野に「最後の1文」の追加を依頼した。星野もそれがなかなか浮かばず、途中で小用を足して戻ってきたときにふざけて言った「とても我慢ができなかったよ」が採用された[3]。
発売当初はA面が「北海道恋物語」、B面が「函館の女」であったが、後にA面とB面が入れ替えられた[1]。
収録曲
タイアップ他
- CM
永谷園から発売されているお茶づけ海苔シリーズの「さけ茶づけ」のCM[4]や、1995年にはアサヒビールの「道産の生」のCM[5]で替え歌が歌われた。
- まちづくり
1992年8月には、歌詞にも登場する函館山の山頂に本曲の歌碑が立てられる予定であった[6]。しかし、これに異議を唱える主婦や市民団体が反対運動を起こして函館市や議会に要望と陳情を行い、論争になった[7]。歌碑建立問題は同年末時点で進展していなかった[8]。
カバー
- ザ・ピーナッツ - 「華麗なる ザ・ピーナッツの世界 50年だよピーナッツ!」収録
- 春日八郎 - 「春日八郎演歌百選」収録
- 三橋美智也 - 「哀愁演歌」収録
- 藤圭子 - 1976年9月26日放送 NHK「ビッグショー」で歌唱。先の1967年2月の岩見沢雪まつり歌謡大会で本曲を歌唱して芸能界入りのきっかけになった。
- 中村美律子 - 「ナツメロ演歌一夜第三集」収録
- 大江裕 - 2010年『演歌大将・大江裕〜日本列島 歌飛脚Ⅰ〜』、2014年『大江裕 ベスト 北風大将/のろま大将』収録
- 氷川きよし - 2015年『新・演歌名曲コレクション2 -愛しのテキーロ/男花-』収録
脚注
- ^ a b 『読売新聞』1989年3月12日付東京朝刊、37頁。
- ^ 船乗りの夢と挫折と華麗なる転身の原点「函館港」 『マリンボイス21』2005年5月号 名作が生まれた港 一般社団法人日本埋立浚渫協会
- ^ よみほっと日曜版 2017年5月28日「はるばるきたぜ函館へ 函館の女」
- ^ 大橋正房『広告化社会』毎日新聞社、1982年、175-176頁。NDLJP:12106579/91
- ^ 「アサヒビール北海道限定醸造生ビール アサヒ道産の生 新発売」『はこだて財界』1995年2月号、函館財界問題研究所、77頁。NDLJP:2847239/39
- ^ 「北島三郎さんの大ヒット曲『函館の女(ひと)』記念歌碑建立」『はこだて財界』1992年8月号、函館財界問題研究所、146-147頁。NDLJP:2847209/75
- ^ 「どう決着? “待った”がかかった 函館山山頂でのサブちゃんの『函館の女(ひと)』歌碑建立論争!」『はこだて財界』1992年10月号、函館財界問題研究所、56-64頁。NDLJP:2847211/29
- ^ 「新春放談 語る人 函館市長 木戸浦隆一氏」『はこだて財界』1993年1月号、函館財界問題研究所、34頁。NDLJP:2847214/22
固有名詞の分類
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