出生から船頭時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:09 UTC 版)
伊勢亀山藩領南若松村(三重県鈴鹿市南若松)の亀屋四郎治家に生まれる。四郎治家は船宿を営み、光太夫(幼名は兵蔵)は次男で兄の次兵衛がいる。母は伊勢藤堂藩領玉垣村(鈴鹿市玉垣)で酒造業・木綿商などを営む清五郎家の娘・妙伯(法名)。 父の四郎治は兵蔵の幼少期に死去し、四郎治家は姉の国に婿養子を迎え家督を相続させる。兄の次兵衛は江戸本船町の米問屋白子屋清右衛門(一味諫右衛門)家に奉公し、兵助も長じると母方の清五郎家の江戸出店で奉公する。 1778年(安永7年)に兵蔵は亀屋分家の四郎兵衛家当主の死去に際して養子に迎えられ、伊勢へ戻ると亀屋四郎兵衛と改める。伊勢では次姉いのの嫁ぎ先である白子の廻船問屋一味諫右衛門の沖船頭小平次(沖船頭大黒屋彦太夫)から廻船賄職として雇われ、船頭となる。1780年(安永9年)には沖船頭に取り立てられ、名を大黒屋光太夫に改める。
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