処世観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 22:36 UTC 版)
第13話の「事物を軽く視て始めて活溌なるを得べし」において次のように処世観を述べている。 「人間(にんげん)の心掛(こゝろが)けは兎角(とかく)浮世(うきよ)を輕(かろ)く視(み)て熱心(ねつしん)に過(す)ぎざるに在り斯(か)く申(もう)せば天下の人心(じん/\)を冷淡(れいたん)に導(みちび)き萬事(ばんじ)に力(ちから)を盡(つく)す者なかる可きやに思(おも)はるれども决(けつ)して然(しか)らず浮世を輕(かろ)く視(み)るは心(こゝろ)の本體(ほんたい)なり輕く視る其浮世(うきよ)を渡(わた)るに活溌(くわつぱつ)なるは心の働(はたらき)なり内心(ないしん)の底(そこ)に之を輕く視るが故(ゆゑ)に能(よ)く决斷(けつだん)して能(よ)く活溌(くわつぱつ)なるを得べし棄(すつ)るは取(と)るの法(はふ)なりと云ふ學者(がくしや)の宜(よろ)しく考(かんが)ふ可き所のものなり」 そして、例えば囲碁や将棋の勝負においても、是非とも勝とうとする者は却って負けると述べて、「浮世(うきよ)を棄(すつ)るは即ち浮世を活溌(くわつぱつ)に渡(わた)るの根本(こんぽん)なりと知る可し」と締めくくる。
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