再度S1復帰へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/21 22:59 UTC 版)
さすがに40歳を越えると体力低下も否めず、それでもA級では常時優勝争いを演じていた伊藤だが、なかなかS級昇進への壁は厚かった。しかし2004年6月23日に岸和田競輪場で開催されたレインボーカップファイナルの準決勝9レースにおいて3着に入り、同開催においては決勝へと進出を決めた時点でS級特進が決まったことから、47歳にしてS級復帰を果たすことになった。 しかしそれだけには留まらず、その後もS級で活躍を続け、ついに2007年前期(1月 - 6月)より丁度10年ぶりにS1に返り咲くことになった。さらに同年のふるさとダービー函館においては特選シード入りを果たし、また続く高知オールスター競輪も出場して1998年の高松宮記念杯競輪以来9年ぶりの特別競輪出場を果たした。 2008年の後期(7月 - 12月)まで引き続きS1に在籍していたが、2009年前期はS級2班に降格しており、S1の最高齢格付記録(当時)は途切れた。しかしながら、過去に大きなタイトルの優勝実績はないとはいえ、肉体を酷使する競輪の世界においては異例の高齢S級選手であったことから、ファンのみならず、関係者からも尊敬の念を持たれることになった。
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