内戦とソマリランド独立
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「アブドゥラフマン・アフメド・アリ・トゥール」の記事における「内戦とソマリランド独立」の解説
オガデン戦争は失敗に終わり、バーレ大統領は大ソマリア主義を捨て、自分の所属氏族ダロッドの優遇政策へと転換した。これにより氏族同士の対立が激化し、各氏族は軍閥を作ってバーレ政権に対抗し、ソマリア内戦へと突入した。 ソマリア北西部でも、イサック氏族が1981年にソマリ国民運動(Somali National Movement, SNM)を作り(ただし結成はイギリスのロンドン)、エチオピアの支援を受けてバーレ政権に対抗した。ソマリ国民運動は、当初こそソマリア再統一を政策に掲げていたが、やがてソマリアからの分離独立を目指すようになった。 1990年4月、トゥールがソマリ国民運動の議長となった。1991年5月18日、ソマリ国民運動は自身の勢力範囲をソマリランドとして独立宣言した。トゥールはソマリランドの初代大統領となった。 ただし、その後もソマリランド内での戦闘行為は続いた。特に、トゥール大統領が属する支族ハバル・ユーニスと、別の有力支族ババル・アワルは、有力都市ブラオとベルベラの支配権を巡って争いを続けた。
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