内戦とジャコバイティズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:19 UTC 版)
「スコットランドの氏族」の記事における「内戦とジャコバイティズム」の解説
17世紀に三王国戦争が始まると、氏族達は国民盟約を結成した。盟約は領域を広げようとするキャンベル氏族の長アーガイル侯やサザランド氏族らに支持され、チャールズ1世に叛旗を翻し、スコットランドの支配を目指した。中立を維持する氏族たちはグラハム氏族出身のモントローズ侯につき、長老制教会組織が維持される限りにおいてチャールズ1世を支持した。こうしてスコットランド氏族は二つに割れ、内戦が始まった。 スコットランドの内戦は1644年から1647年にかけて起こった。国王を支持するドナルド氏族らもモントローズ侯に与して戦ったが、この内戦はアーガイル侯側の勝利に終わった。スコットランドは一時的に盟約による自治政府がつくられたが、1660年に王政復古が成るとアーガイル侯とその領袖は処刑された。1682年、ジェームズ王子はハイランドの平和を維持するために氏族委員会を作った。氏族委員会は各氏族長によって構成され、これによってハイランドにようやく平和が訪れた。ジェームズが王位に就いたとき、ハイランド人はジェームズ2世を熱烈に支持した。 1688年、イングランド議会によってジェームズ2世が追放(名誉革命)されると、ハイランド氏族たちは激しく反発、ジェームズ2世の復権を主張して革命に反発した。ジェームズ2世を支持する人々という意味からジャコバイトと名付けられた彼らは、盟約を結成してイングランド議会に公然と叛意を示した。
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