内乱の連続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 16:02 UTC 版)
337年11月、楊毅は族兄の楊初に殺害された。楊初はその衆を纏め上げて仇池公を称し、後趙にも臣従した。 349年8月、後趙領の西城を攻め、これを攻略した。 353年6月、前秦の左衛将軍苻飛が仇池へ侵攻したが、返り討ちにした。 355年1月、楊毅の末弟である楊宋奴は妻の兄弟である梁式王に楊初を殺害させた。楊初の子である楊国は側近を率いて梁式王と楊宋奴を殺害し、後を継いだ。 356年、楊国は叔父の楊俊に殺害され、楊俊は仇池公を称して自立した。360年1月、楊俊が亡くなると、子の楊世が後を継いだ。 368年12月、前秦にも称藩の使者を送り、南秦州刺史に任じられた。 370年、楊世は亡くなった。子の楊纂が後を継いだが、叔父の楊統はこれを認めずに自立したので、前仇池は分裂した。楊纂は即位してすぐに前秦と国交を断絶した。
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