内乱下の収税組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 15:26 UTC 版)
太平天国の乱(1851年-1864年)において、清の雷以諴が設置した釐局が課した釐金税が始まりである。 八旗軍の疲弊などから各省内でも臨時軍の徴募などに関係する軍事費用がかさんでいた。この費用をまかなうために、旧関以外にも各省内の交通要所に釐局を新設置して、物品の通過ごとに釐金税の徴収を開始した。省下の釐局は、地域によっては釐金局とも称されていた。 財源不足に悩んでいた朝廷はこの税を認可し、1853年に江蘇省、翌年に河南省に設置された。湖北省では、曽国藩が漢口に新しく釐局を設け、次いで巡撫となった胡林翼が武昌に2箇所目を設置した。各省巡撫が省内に設置したことで、全国的に広がった。内乱平定後も廃止されることなく、制度が継続した。 税は通行税・物品税の形で徴収され、税率は2~10%に及んだ。
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