八味地黄丸の変方と家康
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:32 UTC 版)
「八味地黄丸」の記事における「八味地黄丸の変方と家康」の解説
江戸幕府初代将軍の徳川家康は体に気を使っていたため医薬品に強い興味を持ち、薬も自ら調合していた。静岡市駿河区にある久能山東照宮には、家康が使った薬箱や薬研がある。家康は、八味地黄丸の変方で和剤局方に掲載されている処方「無比山薬丸」(地黄、山茱萸、山薬、沢瀉、茯苓、五味子、ニクジュヨウ、杜仲、牛膝、巴戟(天)、免絲子などで構成。太字が八味地黄丸と重複)に、松前慶広から慶長15年(1610年)と慶長17年(1612年)の二回にわたり献上された海狗腎(カイクジン:オットセイのペニス)を加えた処方を愛用し、専用の薬箱の8段目に保管していたといわれる。「八の字」の通称を生んだことで、覚えやすく、かつ他薬との間違いをなくすこと、いわば医療事故防止につながったと見られる。
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