入蜀と漢中王即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:12 UTC 版)
212年から214年にかけて、劉備は劉璋の配下の張松・法正・孟達らの手引きで、劉璋から領土を奪い、益州の大半を得た(入蜀)。215年、孫権と領土のことで係争となり、荊州南部の郡の大半を孫権に割譲した。 219年、劉備は漢中を守備している夏侯淵を討ち取り(定軍山の戦い)、曹操から漢中郡を奪って漢中王になった。劉備の配下の関羽は荊州方面から曹操領に侵攻したが、曹操と密かに同盟を結んだ孫権・呂蒙に荊州を攻撃され、荊州は失陥し、関羽は捕虜となり孫権に処刑された。
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