先住民との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:52 UTC 版)
1885年10月、林朝棟は新竹に駐屯した。そのとき、罩蘭荘(現在の苗栗県卓蘭鎮)で台湾原住民が民衆を殺害する事件が発生した。林朝棟が劉銘伝に報告すると、劉銘伝は林朝棟に鎮撫工作を命じた。 11月23日、武栄社の先住民が罩蘭荘を包囲すると、林朝棟は兵を率いて包囲を解き、付近一帯の山社の鎮撫にあたった。12月11日、大湖が先住民の襲撃を受けると、やはり林朝棟は付近七社の鎮撫にあたった。1886年、劉銘伝は朝廷に上奏して、林朝棟はバトゥルの称号と、三品の官位を得た。 1886年7月23日、蘇魯社の先住民が罩蘭荘を攻撃した。林朝棟は鎮圧に向かい、8月20日まで激戦を繰り広げたが、戦果は上がらなかった。そこで林朝棟は郷里に戻り、援軍を連れて戻ってきた。10月14日から戦闘が再開し、清軍は猛攻を加えた。10月28日、林朝棟と台湾鎮総兵高元三らは武栄社に侵攻し、100人近くを殺害し、武栄社・蘇魯社など七社に投降を迫った。12月6日、戦功により林朝棟は二品を授けられた。この年より劉銘伝は大規模な開墾事業を開始し、林朝棟は台湾中部と北部の開墾と先住民の鎮撫を任せられた。
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