使徒ヨハネとマグダラのマリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 05:54 UTC 版)
「イエスの愛しておられた弟子」の記事における「使徒ヨハネとマグダラのマリア」の解説
「イエスの愛しておられた弟子」が誰にせよ、この人物は少年(あるいは女性)と想像されている。それは次の理由による。 ペトロには「私の小羊を飼いなさい」と教団のリーダーを托され、イエスが最も愛していたと思われるこの弟子にはその種の責任は負わされなかった。この弟子はイエスの母マリアを引き取っている。 「この弟子が死なないといううわさ」が話題になるくらい弟子たちの間で長くまで生きていたと思われる。 成年男子の弟子ならばイエスの仲間としてペトロのように咎められる危険のある、大司祭の屋敷や十字架の下に姿を現している。 最後の晩餐の席でイエスの胸もとに寄りかかっている。 新改訳など日本語訳聖書のなかには、最後の晩餐の場面で「イエスの胸もとに寄りかかっていた」を訳出していないものもあるため、この部分があまり気に止められなかったという事情がある。西欧では本書のこの記述から、最後の晩餐を描くのに、伝統的には使徒ヨハネであるこの弟子を、髭の無い女性的な少年の姿でイエスの隣に置くことが通例であった(レオナルド・ダ・ビンチ『最後の晩餐』など)。 この弟子はペトロと対で登場することが多いが、十字架の下や空になったイエスの墓を訪ねる場面(20:2)など、マグダラのマリアと共に登場することも多い。このためか、使徒ヨハネは髭が無く女性的で金髪、衣も朱色という、マグダラのマリアと共通する図像が用いられている。一部には使徒ヨハネはマグダラのマリアと婚約していたという説話すらある。東方で信じられている伝説では使徒ヨハネはマグダラのマリアと共にイエスの母マリアを連れエフェソに移り住んだという。
※この「使徒ヨハネとマグダラのマリア」の解説は、「イエスの愛しておられた弟子」の解説の一部です。
「使徒ヨハネとマグダラのマリア」を含む「イエスの愛しておられた弟子」の記事については、「イエスの愛しておられた弟子」の概要を参照ください。
- 使徒ヨハネとマグダラのマリアのページへのリンク