作業再開、病魔との闘い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 09:28 UTC 版)
「トゥーランドット」の記事における「作業再開、病魔との闘い」の解説
オペラ完成前だが、初演のための手筈は着々と進められた。初演の舞台はミラノ・スカラ座、日時は1925年4月、指揮はアルトゥーロ・トスカニーニ、舞台装置は中国滞在経験もあり東洋趣味に長けたガリレオ・キーニ等々が決定した。トスカニーニとプッチーニは第一次世界大戦時からの政治的対立(プッチーニは親ドイツ、トスカニーニは嫌独派)もあり過去数年間冷却関係だったが、この頃再び友好関係を取り戻した。後、トスカニーニに宛てて、「この作品をやる時には、完成直前に作曲家は亡くなったのだと伝えて欲しい」というような手紙を書いたという。 しかし1924年の3月頃からは激しい喉の痛みと咳が彼の作業を停滞させる。同年10月には台本はほぼ最終稿の形を整え、プッチーニの作曲を待つばかりだったが、彼の病気は外科手術不能の癌であると診断される。プッチーニ夫妻にはその事実は秘され、息子トニオだけが真実を知っていた。
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