佐野奈津子とは? わかりやすく解説

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佐野奈津子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 06:03 UTC 版)

獲得メダル
日本
柔道
アジア選手権
1997 マニラ 66kg級
世界ジュニア
1992 ブエノスアイレス 66kg級

佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm[1]。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる[2]

人物

三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した[3]。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。強化選手選考会では決勝で筑波大学3年の大石愛子に敗れたが2位となった。全国高校選手権では2連覇を果たした。3年の金鷲旗では2年後輩となる超高校級の1年生の阿武教子らとともに活躍して3連覇を達成した[1]。インターハイの団体戦でも優勝を成し遂げた。しかし、世界ジュニアでは3位にとどまった[1]

1993年には筑波大学へ進学すると、1年の時に東アジア大会で3位となった[4]。その後はケガなどの影響もあってしばらく結果を残せずにいた。4年の時には全国女子体重別で3位になると、福岡国際で2位、フランス国際でも3位に入るなど復調してきた[1]

1997年には塩谷建設の所属となると、選抜体重別では決勝まで進むも、住友海上木本奈美に敗れて世界選手権代表にはなれなかった[1]アジア選手権でも2位にとどまった。福岡国際の70kg級では3位だった。1999年1月の福岡国際では優勝を飾った。12月の福岡国際では3位だった。2000年の選抜体重別では3位にとどまりシドニーオリンピック代表にはなれなかった[1]

引退後は美容師国家資格を得た。その後結婚して末廣姓となり、大分県国東市で夫とともに漁師をしている[5][6]

主な戦績

66kg級での戦績

70kg級での戦績

(出典[1]、JudoInside.com)

脚注

  1. ^ a b c d e f g 「平成11年度後期全日本強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年2月号
  2. ^ 「ZOOM IN 素顔 長井淳子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年11月号
  3. ^ 学科・クラブ紹介 運動部 柔道部
  4. ^ 卒業生 - 筑波大学柔道部
  5. ^ 1億人の大質問!?笑ってコラえて!桜満開SP
  6. ^ 【女子柔道振興委員会】JJ VoiceNo.51 末廣奈津子さん

外部リンク




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