佐幕派からの要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 02:07 UTC 版)
3月30日、衝鋒隊50人余が新発田城下に現れる。彼らは2月7日、江戸から脱走した歩兵隊員で、3月8日、下野簗田の戦いで敗れ、会津に身を寄せていた。会津はまだ謝罪が認められるかもしれない時期だったので、血生臭い朝敵を留めておきたくなく、体よく追い出していた。彼らは阿賀野川を下り、3月28日水原へ入る。総督古屋佐久左衛門、副隊長今井信郎らが新発田にどちら側に付くか問い詰める。例によって、事が重大なので即答できないというふうに答えると、新潟へ赴くので同行願いたいと要求される。新潟へ着くと、衝鋒隊は新発田に五千両の借金を申し入れる。新発田は断るが、半ば脅迫的な要求に、五千両を千両にまけてもらい金を貸した。村松なども同様にたかられている。藩内では悔しがり憤るものもいたが、半兵衛は彼らの背後には会津がいるとみて、隠忍自重すべきと考えた。他にも坂本兵弥率いる幕府新遊撃隊、市川三左衛門率いる水戸藩諸生党兵などのうち200名余が新発田城下を訪れ、また五千両の借金を申し込んできた。これも値切って千両を与えた。また会津藩からも米10000俵借りたいと申し出があり、例によって値切って5000俵与えた。同様に会津の武井柯亭、土屋惣蔵らから五万両の借金申し込みがあり、値切って二千両与えた。
※この「佐幕派からの要求」の解説は、「新発田藩」の解説の一部です。
「佐幕派からの要求」を含む「新発田藩」の記事については、「新発田藩」の概要を参照ください。
- 佐幕派からの要求のページへのリンク