伏見稲荷社記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 20:46 UTC 版)
江戸時代になると、伏見稲荷の神職などによって諸々の由緒記(『水台記』ほか)が著されるが、その多くが稲荷三神の主神をウカノミタマとしている(天倉稲魂命、若倉稲姫魂命、と表記される場合もある)。本来は稲荷山の上・中・下の三社のうち、中社に鎮座するとされていたが、江戸後期から下社とする記述が増え、現在もそのようになっている。 これに対し、他の2神の神名は文献によって異同があり、現在の形(ウカノミタマ、サタヒコ、オオミヤノメ)に決まるのは明治になってからである。 なお、真言宗総本山・東寺の縁起に登場する、稲束を担いだ翁の稲荷明神がウカノミタマと呼ばれることもあるが、近世以降の付会である。中世の東寺縁起では、この翁の稲荷神に固有の神名はなく、鎮座場所も稲荷山の上社である。高野山伝来の『稲荷五所大事聞書』では、この翁の稲荷神の名は「太多羅持男」としている。
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