伏見合戦で参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)
1867年(慶応3年)12月28日、薩土密約に基づき、京都にいる西郷隆盛から土佐の乾退助あてに、「討幕の開戦近し」との伝令が出された。その予想どおり、明けて1868年(慶応4年)1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発する。 1月4日、山田喜久馬橘清廉隊、吉松速之助秀枝隊、北村長兵衛重頼隊、山地忠七橘元治隊、二川元助重遠隊は、薩土討幕の密約に基づき藩命を待たず独断で参戦した。在京の後藤象二郎ら不戦派はこれを叱責して軍令違反として呼び戻し主謀者を切腹させようと試みるが、まもなく錦の御旗が上がり処分保留となる。
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