伊那谷と国学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 05:35 UTC 版)
幕末の信濃南部一帯では、文政年間に本居宣長門下の尾張藩士の植松茂岳らが『古今集』や『新古今集』を講義に訪れ、国学系の和歌が敷衍し、飯田に滞在した岩崎長世の歌会などで、平田篤胤の国学が広く伝えられた。慶應3年には山吹村に国学の四大人を祀る「本学霊社」が建立された。その中で多勢子も和歌や国学に傾倒し、その名が広く知られることとなった。歌道は、桜井春樹(香川景樹弟子)、福住清風、石川依平(栗田土満弟子)、小林歌城(村田春海弟子)を師とした。
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