伊夫伎一雄
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伊夫伎 一雄(いぶき かずお、1920年〈大正9年〉7月8日 - 2009年〈平成21年〉9月2日 )は、日本の経営者。三菱銀行頭取を務めた。東京都出身[1]。
経歴・人物
滋賀県で伊夫伎神社の神官の家柄で生まれた[1]。1943年(昭和18年)に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に三菱銀行に入行した[2]。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学[1][3]。1944年(昭和19年)3月、経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官[3]。第二工作部会計係官を務め、1945年(昭和20年)3月に主計大尉に進み終戦を迎えた[3]。
戦後は三菱銀行に復帰し、1972年(昭和47年)11月に取締役に就任し、1976年(昭和51年)6月に常務、1979年(昭和54年)6月に専務、1982年(昭和57年)12月に副頭取を経て、1986年(昭和61年)6月に頭取に就任した[2]。1990年(平成2年)6月に会長に就任し、1996年(平成8年)4月に東京三菱銀行相談役を経て、2000年(平成12年)7月から特別顧問を務めた[2]。
頭取を務めていた時期はちょうどバブル景気で他行がノンバンクや不動産関連融資に注力する中で、これらへの融資に慎重な姿勢を取り、現実な経営でバブル崩壊後も比較的に安定した財務を維持することができた[1]。1989年に邦銀では初めてニューヨーク証券取引所への上場を果たした[1]。
1988年(昭和63年)から全国銀行協会連合会会長を務め、三菱グループのリーダーとしても活躍した[1]。
1989年にバンカー・オブ・ザ・イヤーに授賞し、1991年(平成3年)に経営者賞に授賞し、同年4月に勲一等瑞宝章を受章した[1][2]。
脚注
参考文献
- 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
- 興信データ株式會社『人事興信録 第45版 上』興信データ、2009年。
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