他路線との平面交差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:11 UTC 版)
全盛期には京阪電気鉄道とは4か所(東山線・四条線・七条線・稲荷線)、京福電気鉄道嵐山線(嵐電)とは1か所(西大路線、1958年(昭和33年)9月15日までは京福電気鉄道北野線との間にもう1か所)、京福電気鉄道叡山線(現・叡山電鉄叡山本線)とは1か所(東山線)の合計6か所も他の路線との平面交差があった。また、四条通では無軌条線が国鉄山陰本線・嵐電と平面交差していた。 また、伏見線と奈良鉄道(奈良線の前身)の旧線とも、奈良線のルートが変更される1921年(大正10年)まで平面交差していた。しかしその時代に衝突事故が続発したため、奈良線の旧路盤を使って奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)が建設されたときには高架線となった。[要出典]
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