他の町に組み入れられた原宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 15:29 UTC 版)
青山 元々江戸期には「青山原宿村」と呼称されるなど、隣接する青山地区との関連は深かったが、1738年に町並が立ち並んだ箇所に青山原宿町と青山久保町が起立した。ただし、これは1872年に青山北町五丁目に組み入れられ、現在は港区北青山三丁目になっている。1889年5月1日に字竹ノ下の一部が赤坂区に編入された。また、原宿村には飛地が存在し、青山墓地下の笄川沿いに字五反田が存在していたが、同じ1889年5月1日に北半分が赤坂区に編入された。1891年に編入された地域も含めそれぞれ青山南町五丁目(現・港区南青山四丁目)に編入された。時代は下って1966年の住居表示実施の際にも原宿一丁目の一部(東京都立青山高等学校の周辺)が港区北青山二丁目にそれぞれ編入されている。 西麻布・六本木 上述の飛地字五反田の南半分は1889年5月1日に麻布区に編入され、1891年に隣接する麻布笄町(現・港区西麻布二丁目)・麻布霞町(現・西麻布一丁目)・麻布新龍土町(現・六本木七丁目)に、それぞれ編入された。
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