仏の顔も三度まで
「仏の顔も三度まで」とは、「いかに温厚で柔和な人でも何度も不届きな行為を繰り返されれば終いには怒る」という意味で用いられる表現であり、本来は「仏の顔も三度」の誤用である。
「仏の顔も三度まで」は「仏の顔も三度」が誤解されて広まった言い方である。
「仏の顔も三度」は、「仏様といえど顔を撫でるような無礼な振る舞いを3回も繰り返されたらさすがに怒る」という趣旨のことわざである。3回されて怒るわけであるから、2度までは許して3回目に堪忍袋の緒が切れたわけである。
「仏の顔も三度まで」というと、3度までは許すが次(4回目)は怒る、と解釈されることになる。
とはいえ、「仏の顔も三度(まで)」という言い回しは、「何度までなら許されるか」を厳密に数えて用いる言葉というわけではない。あくまで「同じ不届き行為を何度もされればさすがに許せぬ」という趣旨で用いられる。
仏の顔も三度まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 02:04 UTC 版)
仏の顔も三度まで(ほとけのかおもさんどまで)は、2500年ほど前のインドからの[信頼性要検証]ことわざ。「仏の顔も三度」とも呼ばれる[1]。
概要
仏というのは温和であるものの、それでも顔を3度もなでられると腹を立てるということ。ここからどんなに慈悲深い人物でも、無法なことを何度もされると怒るということを意味する言葉となっている。これは江戸時代から使われてきたことわざで、古くは「仏の顔も三度ずれば腹を立つ」であったのが略されて現在のような形になっている[2]。
由来
2500年ほど前のインドには、釈迦国という小さな国とコーサラ国という強大な国の2つの国が存在していた。コーサラ国の国王は仏教を信仰していた。ある日コーサラ国の若い国王は、自らの母親というのは由緒ある釈迦国の王女であったと聞かされていたのが実際は身分の高くない女性であり、それは釈迦国の策略であったということを聞かされる。このことでコーサラ国の国王は腹を立てて、釈迦国を滅ぼそうと兵隊を集めて出陣する。出陣したものの3回目までは釈迦の話を聞き入れて兵を引き返す。だがどうしても腹の虫が治まらずに4回目の出陣を行い、釈迦国を滅ぼしてしまう。だがコーサラ国の国王はその帰りの道中で暴風雨に見舞われて命を落としてしまう[3]。4度目の進軍が行われたときには、釈迦はコーサラ国の国王が引き返すようにはしていなかった。釈迦は滅び行く者は滅び行くに任せるしかないとして、遠くからコーサラ国の進軍を見送るのみであった。釈迦国はコーサラ国の大軍に対しては為す術もなく滅亡していた。釈迦の弟子は神通力で釈迦族を救済することを申し出ていたが、釈迦は釈迦族は今日宿縁が既に熟して、今まさに報いを受けるべしと言って断った。そして全て因果必然の業報と教示した。因果業報で釈迦族が滅亡することは、釈迦でさえどうすることもできなかったということであった。この釈迦はコーサラ国王の3回目までの進軍は引き返させたが、4回目の進軍は退き返させなかったことが仏の顔も三度までということわざの由来である[4][信頼性要検証]。
脚注
- ^ “仏の顔も三度(ホトケノカオモサンド)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年8月12日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典,ことわざを知る辞典, デジタル大辞泉,精選版. “仏の顔も三度(ホトケノカオモサンド)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年8月11日閲覧。
- ^ “「仏の顔も三度まで」 | 曹洞宗北海道管区教化センター” (2016年6月4日). 2024年8月11日閲覧。
- ^ “法話 十三仏(釈迦牟尼仏)―その4 釈迦族滅亡― --平成23年7月--【曹洞宗 正木山西光寺】”. www.saikoji.net. 2024年8月11日閲覧。
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