仏の顔も三度まで
「仏の顔も三度まで」とは、「いかに温厚で柔和な人でも何度も不届きな行為を繰り返されれば終いには怒る」という意味で用いられる表現であり、本来は「仏の顔も三度」の誤用である。
「仏の顔も三度まで」は「仏の顔も三度」が誤解されて広まった言い方である。
「仏の顔も三度」は、「仏様といえど顔を撫でるような無礼な振る舞いを3回も繰り返されたらさすがに怒る」という趣旨のことわざである。3回されて怒るわけであるから、2度までは許して3回目に堪忍袋の緒が切れたわけである。
「仏の顔も三度まで」というと、3度までは許すが次(4回目)は怒る、と解釈されることになる。
とはいえ、「仏の顔も三度(まで)」という言い回しは、「何度までなら許されるか」を厳密に数えて用いる言葉というわけではない。あくまで「同じ不届き行為を何度もされればさすがに許せぬ」という趣旨で用いられる。
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