人物・戦績とは? わかりやすく解説

人物・戦績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:51 UTC 版)

小野修一」の記事における「人物・戦績」の解説

1982年度新人王戦棋戦初優勝。さらに、1984年度にも2度目優勝決勝三番勝負相手は、それぞれ島朗中村修であったが、いずれも2-0ストレート下している。決勝小野敗れた二人は、ほどなくしてタイトルホルダーとなる強豪であった1986年には、早指し新鋭戦優勝決勝相手は、これも強豪森下卓であった非公式棋戦では、1990年第2回IBM杯戦で優勝1990年順位戦B級1組昇級し、七段となる。その後順位戦での最高位B級1組3位昇級争い次点)であり、A級には惜しくもあと一歩足りなかった。B級2組陥落した後も、8勝2敗での次点3位)が2度もあるなど、昇級争い奮闘した一時期仙台市住み対局のたびに上京する生活を送っていた。 1995年第8期竜王ランキング戦2組準優勝し、1組への昇級決めとともに本戦トーナメント進出する。 健康上の理由で、2007年3月をもって現役引退する通算541勝、勝率0.537という好成績挙げている棋士引退するのは、超一流棋士除いてはかなり珍しいことであった。それから1年経たない2008年1月11日虚血性心疾患により杉並区自宅死去享年49早逝であった

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