人工栽培の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 06:56 UTC 版)
16世紀の西ヨーロッパ諸国にメロン栽培が導入された際に、厩肥の発酵熱を利用した温床でのメロン栽培が行われ、廃温床となった厩肥にハラタケ類が発生し、食用に採集するようになった。この廃温床にキノコの栄養源として糞や敷き藁を被せ、子実体の発生を促進したことが起源となり、17世紀のフランスでのツクリタケ(マッシュルーム)の人工栽培に成功へと発展していく。1707年には、フランスの植物学者Tournefortが著書に栽培方法を記していて、基本的な方法は現在と変わりない。19世紀初頭頃には、ツクリタケ栽培がフランスから周辺のドイツ、イギリスなどにも伝わり、1865年にはアメリカ合衆国にも伝わった。 日本では、江戸時代のほだ木によるシイタケ栽培が人工栽培の最初とされているが、当時の方法は、シイタケの宿主となる樹木を伐採し、これに鉈などで傷をつけた後、林内に並べて適宜に水分を補給するといった管理にとどまり、種菌を人工的に接種するという着想には至らなかったため、投機的要素が非常に大きかった。 ホクト、雪国まいたけに代表されるきのこメーカにより、大量に量産されるまでに至り、スーパーの店頭に数多く陳列され、食卓を賑わすことになっている。市場価格単価の調整で、需要と供給のバランスが計られている。
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