猪早太
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猪 早太(い の はやた、生没年不詳)は、平安時代末期の武将。井 早太、猪 隼太あるいは猪野 早太などとも表記する。源頼政に郎党として仕えた。遠江国猪鼻湖西岸[1](現在の静岡県浜松市浜名区三ヶ日町)、または近江国猪鼻[2](現在の滋賀県甲賀市土山町猪鼻)を領したことから猪鼻を苗字としたという。また、多田源氏で父は太田伊豆八郎広政(廣政)といい、名は高直であったともされる[3]。(後年の浮世絵などでは名を広直(廣直)あるいは忠澄とするものも見られる。)『播磨鑑』では、頼政の知行地であった播磨国野村の産とされる[4]。
- ^ 上田正昭ほか監修『講談社 日本人名大辞典』(講談社、2001.12)225頁。
- ^ 『日本人名大辞典(新撰大人名辭典)』(平凡社、1937.5(復刻版1979.7))第1巻360頁。なお同書では、出典として『鎌倉実記』『源平盛衰記』を挙げている(いずれも後の時代の文芸作品であり、脚色がなされている可能性がある)。
- ^ 同上。
- ^ a b 「猪早太供養碑(野村町)」西脇市ホームページ、2013年10月11日閲覧。
- ^ 笹間良彦『図説 日本未確認生物辞典』(柏書房、1994.1)pp159-160。
- ^ 「中津散策MAP - 文化・歴史スポット - 11.猪早太の祠」『中津まるごとミュージアム』HP、2012年5月19日閲覧。
- ^ [1] 猪野早太と頼政伝説、2012年5月19日閲覧。
- ^ 「東広島郷土史探訪『観現寺』」『THE WEEKLY PRESSNET』、2012年5月19日閲覧。
- ^ 「菖蒲前と猪早太」『源姓山縣流小田氏』、2012年5月19日閲覧。
- ^ 「菖蒲の前と吾妻子の滝」福成寺HPより、2012年5月19日閲覧。
- ^ 「なばりの昔話 箕面編 猪早太の墓」(音声付き)、2012年5月26日閲覧。
- ^ 「三輪の歴史 猪早太の記」『ふるさと みわ』、2013年10月11日閲覧。なお同記事では、「猪早太」は渡辺競の仇名としている。
- ^ 「猪の早太の祭礼」『日本共産党岐阜市議団』2010年11月28日、2015年1月1日閲覧。
- ^ 木村三四吾『滝沢馬琴―人と書翰』(八木書店、1998.6)
- ^ “「だるまちゃん」に3人の新しいお友だちが登場!!”. 福音館書店. 2019年2月1日閲覧。
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