井伊宜子とは? わかりやすく解説

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井伊宜子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 18:51 UTC 版)

井伊宜子

井伊 宜子(いい よしこ、嘉永4年2月26日1851年3月28日) - 明治28年(1895年1月4日)は、江戸時代幕末から明治時代にかけての皇族華族。父は有栖川宮幟仁親王井伊直憲の最初の夫人。旧名宜子女王。幼名は糦宮(もりのみや)。

生涯

有栖川宮幟仁親王の三女。母は家女房森則子。

明治元年(1868年)9月、彦根藩井伊直憲(のち伯爵)と縁組。同年12月結納。翌明治2年(1869年)2月21日京を発し、同23日彦根に着いて婚儀を挙げた。明治4年(1871年)9月7日、長男・弘太郎を産んだが、生後3か月足らずで夭折。明治14年(1881年)5月29日、次男・直忠を産む。

明治28年(1895年)に死去。法名は春照院。豪徳寺に葬られた。

和歌をよくし、著作に「代々木別邸内名所和歌」がある。

参考文献

  • 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年)
  • 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年)



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