事務所所属から「M-1グランプリ」優勝まで
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「内海崇」の記事における「事務所所属から「M-1グランプリ」優勝まで」の解説
事務所所属後、本格的にコンビとして始動し、M-1グランプリにも出場したが、あまり良い成績を残すことができなかった。 M-1グランプリ旧大会終了(2010年)から2015年に再開するまでの5年間は、漫才をサボり気味になり、新ネタを作ることもなく、もともと趣味だったギャンブルにのめり込まれていった。 2016年、自身の母がくも膜下出血で倒れ、改めて将来について考えるようになる。その後、駒場と共に再び漫才に向き合い始める。 2018年12月、後輩の霜降り明星が史上最年少でM-1グランプリ優勝を果たしたことに強い刺激を受け、漫才に対する思いがより一層強くなった。そのため、ギャンブルを完全に止めた。 2019年12月、「M-1グランプリ2019」にて歴代最高点となる681点を記録し、優勝を果たす。
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