九頭竜川水系の河川施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:56 UTC 版)
九頭竜川水系で残存する最初の河川施設は、保元年間に藤原国貞が開削した十郷用水である。この用水は後に代々の越前支配者により管理される重要な施設となった。灌漑施設は戦後、用水の水源である鳴鹿に鳴鹿堰堤が1954年(昭和29年)に建設されることで近代化した。水力発電は1899年(明治41年)に京都電燈が足羽川に発電所を建設したのが始まりで、戦後には大規模な水力発電計画が北陸電力や電源開発により進められるが、水利権の問題で紛糾した。建設省(現・国土交通省近畿地方整備局)は調停に乗り出す一方、伊勢湾台風による水害を機に九頭竜川の総合開発に乗り出し、ここに治水と電源開発が一体となった「奥越総合開発計画」が動き出す。1965年(昭和40年)の奥越豪雨によって未曾有の災害を受け、計画は修正されて現在九頭竜川はダム・堰が一体化した管理を行っている。
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