九州一周空中列車
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『平和の空に送る毎日新聞西部本社印刷開始三十周年記念』で行われた『九州一周空中列車』は1952年(昭和27年)11月7日午前8時52分に小倉曽根飛行場より飛び立った。引航は、毎日新聞社機、パイパー カブ十八型操縦栗原機長、久米機関士同乗で100mの引航索でつながれたSM-206 (複座、双胴) セコンダリー機は純白の主翼、銀ねずみ色の主胴体、グリーンの双胴部で輝くばかりの出来映えだった。 初日(7日)は、北九州、小倉市曽根飛行場から→博多湾北東側から福岡市→糟屋郡宇美町→直方市→飯塚市→曽根飛行場 2日目(8日)は、小倉市曽根飛行場から→久留米市→佐賀市→大村福重飛行場→佐世保市→長崎市→大村福重飛行場 3日目(9日)は、大村飛行場→熊本市→熊本健軍飛行場→八代市→水俣市→阿久根市→川内市→鹿児島市→鹿屋飛行場 4日目(10日)は、鹿屋飛行場→都城市→宮崎市→赤江飛行場 5日目(11日)は、赤江飛行場→延岡市→佐伯市→臼杵市→大分市→大分飛行場 6日目(12日)は、大分飛行場→別府市→中津市→小倉曽根飛行場(午後0時8分着陸) 日本製の複座のグライダーでの長距離引航は、戦前戦後を通じて初めての快挙だった
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