久宝寺1号墳に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 17:22 UTC 版)
「久宝寺1号墳」の記事における「久宝寺1号墳に関する議論」の解説
久宝寺古墳の築造される時期はちょうど、大和を中心に大型前方後円墳が続々と造営されつつある時期にあたる。しかし久宝寺1号墳の場合、それらとは墳丘の規模では比較にならず、また銅鏡などの副葬品も皆無で内容においても比べようもなく劣っている。また墳丘の形状も弥生時代の方形周溝墓と同じく方形である。これらの事実をもって久宝寺1号墳を古墳の範疇に入れないで方形周溝墓系の墳墓とする考えも強い。しかし、また割竹形木棺の導入や、桜井茶臼山古墳のように底部に穿孔のある壷を墳丘上に配置するなど新しい要素もみられる。したがって伝統的な方形周溝墓の遺制と見なすべきではなく、古墳時代に政治的に再編され位置づけられた底辺クラスの首長の古墳として捉え直すべきという意見もある。また、河内平野においては古墳時代中期には小古墳が群在することが長原古墳群などで知られており、久宝寺1号墳はその先駆形態ともいえる存在であり、河内平野低地部における出現期古墳の実態を示すものと考えることもできる。
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