久保禎三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/07 01:36 UTC 版)
| 久保 禎三 | |
|---|---|
| 生誕 | 1894年1月5日 |
| 死没 | 1968年8月8日(74歳没) |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1916年 - 1945年 |
| 最終階級 | |
久保 禎三(くぼ ていぞう、1894年〈明治27年〉1月5日[1] - 1968年〈昭和43年〉8月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1894年(明治27年)に群馬県[1]多野郡新町(現・高崎市新町)[2]で生まれた。生家は新町宿の脇本陣を勤めた家で、父・喜三郎は新町小学校の初代校長[2]。
旧制藤岡中学校、旧制富岡中学校を経て[2]、陸軍士官学校第28期[3]、東京帝国大学土木工学科卒業[4][2]。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍工兵大佐進級と同時に陸軍大学校教官に就任し[4]、1939年(昭和14年)8月に陸地測量部三角科長に転じた[4]。1940年(昭和15年)12月に鉄道第6連隊長(第14軍)に就任し[3][4][5]、フィリピン攻略戦に出征した[3]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[4]、8月10日に関東軍築城部長に就任した[1]。1944年(昭和19年)7月15日に防衛総司令部築城部長に転じ[3]、1945年(昭和20年)1月20日に第4野戦鉄道司令官(支那派遣軍・第6方面軍)に就任し[3]、中国戦線に出動[3]。同年4月30日に陸軍中将に進級し[4]、漢口で終戦を迎えた[3]。
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026。
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