中谷遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 23:34 UTC 版)
日野町字中谷4691番地の、日野川水源域の谷戸最奥部にある標高70mの丘陵(通称・高塚)斜面から山裾にあった。この地点の発掘は、開発工事による丘陵の削平が目前に迫る中での緊急調査であり、2月の厳冬期で厳しいものだった。ちなみに調査開始時期はあさま山荘事件の発生期間に重なっており、調査現場でもラジオで事件報道が聞かれていた。踏査時に「9地点」とした丘陵斜面から、斜面を平場に改造して泥岩塊を無数に集積した遺構のほか、鞴の羽口や灰釉陶器片、鉄のスラグ(鉄滓)が発見された。調査前に地主が奈良時代の土師器を採集しており、この場所は奈良~平安時代の鍛冶遺構と推察されたが、鞴の羽口以外に燃焼痕跡や灰などが見られない点に疑問が残された。9地点の斜面より下の谷戸(10地点)の調査では、鎌倉時代~室町時代のかわらけが出土した。
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