中条信義とは? わかりやすく解説

中条信義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 13:48 UTC 版)

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中条信義
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和4年(1767年
死没 文政10年3月11日1827年4月6日
別名 通称:友之助、兵庫
官位 従四位上左少将河内守
幕府 江戸幕府高家旗本
主君 徳川家斉
氏族 秋月氏中条氏
父母 父:秋月種美、養父:中条信復
兄弟 キセ(秋月種武室)、秋月縫殿、秋月種茂、フミ(山田重遠室)、イク、
トミ(内田正矩室)、
ナカ(手塚吉従室)、上杉鷹山相良晃長、セイ(小田久知室)、大久保忠快、亀三郎、政次郎、エツ(柴垣定信室)、トマ、秋月種懐、トヨ(泥谷直之室)、信義、フチ(榊原政栄養女)、斉藤利国
正室:大沢定寧
弥一郎(早世)、他一男八女あり
養子:信徳松平直泰六男)
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中条 信義 (ちゅうじょう のぶのり)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本旗本中条家5代当主。

明和4年(1767年)、日向国高鍋藩6代藩主・秋月種美の八男として誕生した。高家旗本・中条信復の養子となる。天明元年(1781年)閏5月15日、10代将軍徳川家治御目見する。表高家に列する。

天明7年(1787年)3月1日、高家見習に召し出されて、3月26日、従五位下・侍従・河内守に叙任する。同年4月13日、高家職に就任する。文化5年(1808年)12月25日、高家肝煎に就任し、従四位下に昇進する。文化7年(1810年)11月25日、信復の隠居により家督を相続する。長男・弥一郎の早世により同年12月9日、松平直泰の六男・信徳を養子に迎えた。文化13年(1816年)6月13日、従四位上に昇進する。

文政10年(1827年)3月11日、死去。享年61。

先代:
中条信復
高家中条家第5代当主
1810年 - 1827年
次代:
中条信徳




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