中条信徳とは? わかりやすく解説

中条信徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 07:20 UTC 版)

 
中条信徳
時代 江戸時代後期
生誕 安永7年12月4日1779年1月21日
死没 文政13年7月23日1830年9月9日
改名 直年→信徳
別名 通称:鶴次郎
官位 従五位下侍従大和守
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家斉
氏族 明石松平家→中条氏
父母 父:松平直泰、養父:中条信義
兄弟 松平直之松平直周松平直暠信徳
松平直方、本多忠曄、有馬広寿
松平直顕、安藤定則、千賀直標、
松平直宝、松平直董、栄、輝、寿、
堀田一権正室、幹、喬、晋、小堀政共正室ら
正室:中条信義
信礼
養子:有り
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中条 信徳 (ちゅうじょう のぶのり)は、江戸時代後期の高家旗本官位従五位下侍従大和守

略歴

播磨国明石藩主・松平直泰の六男として誕生。初名は直年。通称は鶴次郎。

兄に明石藩主松平直之出雲国母里藩松平直方、弟に高家旗本有馬広寿らがいる。文化7年12月9日(1811年)、高家旗本中条信義の養子となる。文化8年(1811年)閏2月15日、11代将軍・徳川家斉御目見する。同年6月3日、高家見習に召し出されて、7月18日、従五位下・侍従・大和守に叙任する。文政10年(1827年)6月3日、信義の死去により家督を相続する。文政12年(1829年)10月28日、病気を理由に高家職を辞職する。文政13年(1830年)7月23日死去。享年53。

正妻は中条信義の娘。実子1人(中条信礼)、養子1人を確認できる。

先代
中条信義
高家中条家6代当主
1827年 - 1830年
次代
中条信礼




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