中川宇右衛門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中川宇右衛門の意味・解説 

中川宇右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:20 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
中川 宇右衛門
時代 江戸時代後期 - 末期
生誕 文化2年(1805年
死没 慶応元年閏5月30日1865年7月22日
別名 徳以(諱)、登人
主君 毛利斉熙斉元斉広敬親
長州藩士
氏族 三善氏中川氏
テンプレートを表示

中川 宇右衛門(なかがわ うえもん)は、江戸時代幕末武士長州藩士は徳以。

来歴

長州藩の上士である大組の家に生まれ、禄高は100石だった。嘉永6年(1853年黒船来航に際して長州藩は相模国周辺の警備を命じられるが、当時用所役だった宇右衛門もそれに参加。その後も遠近方・倉元両人役・矢倉頭人を歴任するなど、万延元年(1860年)まで藩の財務に深く携わった。椋梨藤太らを代表とするいわゆる俗論派に近く、文久3年(1863年八月十八日の政変で長州藩が京都での影響力を失うと、椋梨らと藩政を批判した。そのため隠居処分を下されるが、元治元年(1864年)第一次長州征討が起きると遠近方として復帰し、藩政から正義派を駆逐するなどした。しかしながら慶応元年(1865年)1月、藩政を再び正義派が握ると再び罷免され、その年の閏5月に野山獄で自害を命じられた。

参考文献

演じた俳優




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中川宇右衛門」の関連用語

中川宇右衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中川宇右衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中川宇右衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS