中央卸売市場開設以前の徳島市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 02:23 UTC 版)
「徳島市中央卸売市場」の記事における「中央卸売市場開設以前の徳島市」の解説
徳島市では、江戸時代初期より八百屋町、魚町(現:幸町)と呼ばれる問屋街が形成されていた。明治時代より、市内には5箇所の魚市場(新町魚市場(新魚町、現在の両国橋付近)、水産魚市場(内魚町、現在の幸町3丁目付近)、辷り魚市場(富田辷り浜、現在の富田浜2丁目付近)、斎田魚市場(斎田村、現在の昭和町6丁目付近)、真力魚市場(二軒屋町2丁目付近))が存在した。 1926年(大正15年)に合名会社丸生徳島青果市場(船場町)が開設され、阿波青乾物佐古市場以外の業者はすべて廃業した。昭和に入って中央卸売市場開設都市の指定を受けた徳島市は、前川町(渭北地区)に徳島市立前川卸売市場を開設。
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