中国における伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:48 UTC 版)
亶州は秦の徐福が住み着いてその子孫が暮らしているという伝承がある。住民は会稽郡東冶県に時々は交易に来ていたという。夷州は台湾説・沖縄説・日本説があり、亶州は海南島説・ルソン島説・沖縄説・種子島説・日本説・済州島説がある。しかし、徐福が出てくる文献ははすべて淮南衡山列伝を基づいていて、淮南衡山列伝にも徐福はどこにたどり着いたのか書かれていない。亶州に秦の徐福が住み着いたという説や夷州と亶州を海外国とする説など全部歴史的な根拠はなく、淮南衡山列伝からの創作にすぎない。 伝承から創作が行われて、後代に作られた釈義楚の義楚六帖には、徐福が富士山に漂着したことが記され、顕徳五年(958年)に弘順大師が「徐福は各五百人の童男童女を連れ、日本の富士山を蓬莱山として永住し」と伝えたという。。 北宋の政治家・詩人である欧陽脩は淮南衡山列伝を基づいて、徐福が日本に渡来したと推測し『日本刀歌』を創作した。『日本刀歌』には「其先徐福詐秦民 採藥淹留丱童老 百工五種與之居 至今器玩皆精巧(日本人の祖である徐福は秦を欺き、薬を採取して連れて行った若者たちとその地に長らく留まった。連れて行った者の中には各種の技術者が居たため、日本の道具は全て精巧な出来である)」という内容で日本を説明する部分が存在する。
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